秀策は母の喪が明けてからも後輩の育成に力を注いだ。
秀策の御城碁十九連勝は碁打ちのなかでも抜きん出た実績であった。
本因坊門の後輩のみならず、他門からも秀策に稽古をつけてもらおうという人が多かった。
そんな文久二年の夏、江戸にはコレラが流行した。
それは本因坊家も例外ではなかった。
門人の多くがコレラに罹ってしまったのである。
コレラは伝染する病気であり、罹った人々を別の部屋に入れ、離れることにした。
ところが秀策はそれにかまわず看病を続けた。
「そんなことを秀策先生がされることはありません」
周りが止めるのを秀策は聞かなかった。
「大丈夫です。わたしはこれでもあまり病気にならないのです」
みんなの不安をよそに秀策の看病のおかげで一人、また一人と回復してくる者があった。
「秀策先生のおかげです」
みな秀策に感謝し、秀策の勇気をたたえた。
秀策の看病の甲斐あってコレラに罹った人々は全員回復した。
しかし、その看病により秀策自身がコレラに罹ってしまった。
「なに、秀策が」
秀和の顔から血が引いたようだった。
秀策の妻花もあわてて秀策のもとへ行こうとするのをみなで止めた。
本因坊家は秀策のおかげでコレラの被害を出さなかった。
ただひとり秀策自身を除いては。
将来を期待された天才碁打ち本因坊秀策はコレラにより三十四歳の生涯を閉じた。
秀策の死は囲碁界に大きな衝撃をあたえた。
この後、秀和の後継者問題も発生。
幕末の動乱により家元たちは苦境に陥った。
明治に入ると、秀策の弟子の手により秀策追悼の碑が建てられた。
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