秀策は後進の育成に力をいれていた。多くの門人と碁を打ち鍛えていた。
当主の秀和も秀策になら今後の本因坊家を任せられると安心している。
秀和は秀策の他にも気にかけている門人がいた。
村瀬弥吉という少年である。
年月が経つにつれ、弥吉は力をつけてきた。
秀和は自分と秀策から秀の字をあたえ秀甫と名乗らせた。
秀策の跡を継ぐのは秀甫になるだろうと秀和は考えた。
秀甫は先で秀策と打ち続けていた。
はじめはかなわなかった秀甫も勝つ回数が増えてきた。
他にも義弟(妻の弟)である葛野亀三郎ともよく打った。
亀三郎は十二世丈和の三男で、明治になると、秀甫とともに衰えてきた家元に対して囲碁会社を設立した。
秀策は御城碁でも連戦連勝し、文久元年、三十三歳のときには十九戦十九勝と無敗であった。
この当時は世情が不安定で幕末の争乱期であった。
浦賀に黒船が来航し、それ以降攘夷だ、勤王だと大騒ぎであった。
大老や重要人物に対する暗殺などが横行していた。
御城碁も中止になるかもしれない中、秀策のもとに故郷から母の死を報せる手紙が届いた。
これを見た秀策は悲しみのあまり、しばらくの間なにも手につかなかった。
「秀策先生、このままではなりません。こういうときにこそ碁を打ちましょう」
励ましてくれたのは秀甫であった。
(この男ならば)
秀策は秀甫に大きな期待をした。
これからの世の中、秀甫なら本因坊家を、囲碁界を背負っていけると思った。
「よし、秀甫打とう」
秀策はこの弟弟子を徹底して育てることにした。
秀和も秀甫なら秀策を越えるかもしれないと思った。
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